宇喜多秀家公のお墓のご案内~八丈島お勧め観光スポット~

2012年03月04日(日)
宇喜多墓⑧500

いつも八丈島ホテルリード・アズーロをご利用頂きましてありがとうございます。

本日は江戸時代に流刑地(るけいち)であった八丈島への最初の流人である宇喜多秀家(うきたひで
いえ)公のお墓をご紹介いたします。ここ2~3年でしょうか、岡山出身のお客様や歴史好きの女性の
お客様から、しばしばお問い合わせを頂きます。

歴史にあまり詳しくない、という方のために簡単に説明しますと、宇喜多秀家(1572~1655)は戦国の
謀略の武将として名高い岡山城主宇喜多直家(なおいえ)の次男として生まれました。直家の死後は
秀家の母お福の方(美人で名高かった)が秀吉に愛されるようになり、秀家は豊臣秀吉の猶子(ゆうし・
養子に近い関係)となり、同じく養女となっていた前田利家の娘・豪(ごう)と結婚します。

秀家は朝鮮の役の総帥となり、その活躍により備前(びぜん)・美作(みまさか)57万石の岡山城主と
なりました。そして豊臣五大老の一人となりましたが、関ヶ原の合戦では奮戦むなしく敗軍の将となり、
九州の島津家に2年余り逃れ、久能山に2年間幽閉された後、慶長11(1606)年、34才で八丈島に流さ
れました。その時、秀家には二人の息子とともに家来や下男・下女を10名が従がってきたそうです。

その後、秀家は50年の間、流人ということで凡俗を装って月日を過ごし明暦元(1655)年に83才で没し
ます。秀家の死後一族は、秀家の妻・豪姫の実家である加賀前田家の支援を受けながら、子孫を繁栄
させ明治2年(1868)にようやく赦免された時には宇喜田、浮田、喜田など20家が存続していました。

今でも島内には浮田、喜田の名字を持つ方が多く住んでいます。

宇喜多墓⑦250 宇喜多墓①250
お墓は大賀郷にあります。当ホテルからメインストリートを三根方面から進んだ場合、八丈町役場から
500mほど進むと右手に見える愛光観光(タクシー会社)のある角を右折します。

宇喜多墓②250 宇喜多墓⑤250
あとは看板に従って進むとすぐに見つかると思います。お世辞にもあまり立派なお墓とは言えないのが
残念なのですが・・・

お墓の周りには駐車場がないので、タクシー(当ホテルから片道1,900円位)をご利用になるか、八丈町
役場の駐車場に車を停めてから徒歩(5分強)で行かれることをお勧め致します。

詳しい場所はフロントスタッフまでお尋ねください。それでは皆様のご来島をお待ちしております。

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支配人 歌川真哉

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